« 2011年6月 | トップページ | 2011年10月 »

2011年9月

善き人のためのソナタ

「善き人のためのソナタ」

製作年: 2006年

製作国:ドイツ

監督: フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク

出演者: 

(ヴィースラー大尉) ウルリッヒ・ミューエ

(クリスタ=マリア・ジーラント) マルティナ・ゲデック      

(ゲオルク・ドライマン) セバスチャン・コッホ

(アントン・グルヴィッツ) ウルリッヒ・トゥクル

解説はオールシネマ オンラインより  

旧東ドイツで反体制派への監視を大規模に行っていた秘密警察“シュタージ”。 

本作はこのシュタージ側の人間を主人公に、統一後も旧東ドイツ市民の心に深く影を落とす“監視国家”の実態を明らかにするとともに、芸術家の監視を命じられた主人公が図らずも監視対象の考え方や生き方に影響を受け、新たな人生に目覚めてしまう姿を静謐なタッチでリアルに描き出す感動のヒューマン・ドラマ。

主演は自身も監視された過去を持つ東ドイツ出身のウルリッヒ・ミューエ。 

監督はこれが長編第1作目となる弱冠33歳の新鋭フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク。 

1984年、壁崩壊前の東ベルリン。国家保安省(シュタージ)の局員ヴィースラー大尉は国家に忠誠を誓う真面目で優秀な男。ある日彼は、反体制的疑いのある劇作家ドライマンとその同棲相手の舞台女優クリスタを監視し、反体制の証拠を掴むよう命じられる。

さっそくドライマンのアパートには盗聴器が仕掛けられ、ヴィースラーは徹底した監視を開始する。

しかし、音楽や文学を語り合い、深く愛し合う彼らの世界にヴィースラーは知らず知らずのうちに共鳴していくのだった。そして、ドライマンがピアノで弾いた“善き人のためのソナタ”という曲を耳にした時、ヴィースラーの心は激しく揺さぶられてしまうのだったが………。

179346_193920433967136_193920173967


☆☆☆ 観終わって ☆☆☆

予告編はこちら

主人公ヴィースラーは東ドイツ国家のシャタージ(国家保安省)の職員。

仕事は反体制的な活動をしている人物を監視し、摘発することである。仕事一途の真面目な男であり、新人の教育も委ねられている。世渡りは決して上手とはいえない。何よりの証左が同期生のグルヴィッツに出世の面で遅れを取っていることだ。

ある日、嘗ての同期生も今では上司にあたるグルヴィッツから作家のドライマンを監視することを命ぜられる。これはハムプフ大臣じきじきの要請でもある。

ドライマンの住むアパートに盗聴器が仕掛けられ、その日から屋根裏でヴィースラーは監視体制に入る。

ドライマンの誕生パーティに多くの友人、知人が集まり、演出家イェルスカも同席する。イェルスカはドライマンが最も尊敬する友人だが、反体制的な挙動で活動を停止されている。イェルスカはドライマンの誕生祝いに善き人のためのソナタの楽譜をプレゼントする。

ドライマンと同居する恋人のクリスタはハムプフ大臣から恫喝にも等しい迫り方で庇護を受けている愛人でもある。

権力者に刃向えばたちまち自由な活動を封じられる不条理な体制の中では、女優として生き続けるための便法とは思っているが、逢瀬の度に深い後悔の念に襲われる。

ヴィースラーも監視している間にこの関係を知っており、所轄のハムプフ大臣に対しては道義心から許せないと思っている。いつものように情事を終えてクリスタをドライマンのアパートまで車で見送るハムプフ大臣。

ドライマンを監視中のヴィースラーはこの時とばかりに、屋根裏から遠隔操作をして玄関のチャイムを鳴らし、外にドライマンをおびきよせる。高級車リムジンから降りて身なりを整えているクリスタを目の当たりにし、ドライマンはこの時にハムプフ大臣との関係を初めて知ったのである。

クリスタはアパートに戻ってシャワーを浴びるなり嗚咽をもらし、やり切れない面持ちでベッドに横たわる。ドライマンは問い詰めるでもなく、クリスタを優しく抱き寄せる。

この間の出来事をヴィースラーは監視の立場を忘れてドライマン、クリスタの苦衷を思いやり、まるで自分の事のように身につまされるのだった。この日から際立ってヴィースラーの心中にも変化が現れ、監視の報告書にも手心が加えられていく。

そんなある日、イェルスカの自殺という悲報がドライマンのもとに届く。演出家としての将来を悲観し、自ら命を絶ったのだ。

悲しみに打ちひしがれたドライマンはイェルスカから贈られてきた善き人のためのソナタを切々と奏でる。ピアノの美しい調べが盗聴器から流れるのをうっとりと聞き入るヴィースラー。知らず知らずのうちに涙が一筋になって頬を伝わっていた。

ドライマンはつぶやく“この曲を本気で聴くものは悪人にはなれない”。

ハムプフ大臣との逢瀬の日、クリスタはクラスメートに逢いに行くと言ってドライマンに伝える。

ドライマンはすかさず“誰に逢いにいくのか、僕は知っている”と切り出す。さらに“ハムプフ大臣は君にとって必要な人ではない”とドライマンは言う。尚も“君は女優としての自信の無さからクスリに頼っているが、僕は決してそうは思わない、君は才能のある女優だ”と説く。

しかし、クリスタは“どんなに才能があっても権力者は簡単ににぎりつぶす、演目も役者も演出も勝手に決められる、貴方もイェルスカのような末路を迎えたくないでしょう”と切り返す。

尚も言い争って結局、クリスタは家を飛び出すが、逢瀬の場所には行く気にもなれず、近くのカフェの扉を押す。

そこには待ち構えていたかのようにクリスタとドライマンのやり取りを一部始終、盗聴器で聞いていたヴィースラーが。ヴィースラーはウオッカをダブル二杯あおった勢いでクリスタの席へ。

“国民はあなたを愛している、僕も君のファンだ、しかし今のあなたはあなたじゃない”と訴える。“私のことをよく知っているのね”とクリスタ。“芸術家はそんな身を売るような取引をしてはいけない”とヴィースラーはクリスタをたしなめる。“あなたはいい人ね”とクリスタは礼を言ってカフェを去り、我に返ったようにその足でアパートに急ぎ戻ってドライマンの胸元へ飛び込む。

さて、自殺したイェルスカの葬儀も済み、ドライマンは東ドイツであいついで自殺する芸術家の実態を西側に訴えるべく機会をさぐろうとしていた。

そこで友人のパウル・ハウザーに相談し、彼から西ドイツのシュピーゲル誌の編集者を紹介してもらう。匿名で首尾よくシュピーゲル誌に公表することが出来たが、その事実が明らかになって怒り心頭を発したのは東ドイツ政府の取り締まる側。

グルヴィッツはハムプフ大臣から銃殺だぞ、とまで脅されて執筆者の割り出しを督促し、その矛先は当然に直接関わっているヴィースラーに向けられる。

ヴィースラーはドライマンらの、この間の企てを盗聴器で全てを捕捉していたのだが、上司に挙げる報告書ではドライマンの不利になる情報はうやむやにしていたのだ。

その渦中でクリスタは巻き添えを食い、責任に耐えかねて路上に走っている車に身を投じる。クリスタを抱き上げて泣き崩れるドライマンにグルヴィッツは“誤ったタレコミだった、すまなかった”とドライマンの背中越しに言って詫びた。

そもそもハムプフ大臣が部下に命じてドライマンに盗聴器を仕掛けたのは、体制の破壊を画するいかなる因子も摘み取ることを表向きには標榜するが、単にクリスタをドライマンから奪って自分の欲望を満たしたかったからである。

ハムプフ大臣に取り入って出世を願うグルヴィッツにとってもドライマンに何としてでも嫌疑をかけることが至上命題になり、ヴィースラーにより一層の奮励を促す。

グルヴィッツはヴィースラーに“我々はもはや学生ではない、とにかく作戦を成功させることだ”と言うのは、ハムプフ大臣の意向に沿ってドライマンに罪を着せて陥れることを意味する。

ドライマンが唯一目立って反体制的な動きをしたのはイェルスカの憤死がきっかけ。西側の雑誌に東ドイツの自殺者の実態を暴露したのは先にも記した通りだ。

字体からタイプライターの所持者を特定出来るのだが、国内では一機も存在しないことにグルヴィッツは焦りを募らす。

ドライマンは当然のことながら捜査線上に浮かび上がり、クリスタを利用してタイプライターのありかを突き止めようとする。まずは不法に薬物を手に入れている某所に踏みこみ、クリスタを拘束する。

ハムプフ大臣との関係を絶ったクリスタは大臣の怨みをかい、処遇はグルヴィッツの手にゆだねられている。グルヴィッツはじきじきクリスタにタイプライターのありかを追及し、返答次第では女優に復帰できるとも、ちらつかせる。

アパートに在ることだけははっきりし、部下をドライマンのもとへ派遣する。だが、家宅捜査してもタイプライターを見つけ出すことは出来ず、一旦は引き揚げる。

今度はヴィースラーに命じてクリスタを尋問させる。クリスタは重たい口を開き、とうとうタイプライターを隠し場所を告白した。

敷居の下であり、ヴィースラーはドライマンの隙を見はからって一足先にアパートに直行する。そして、これからグルヴィッツが踏み込む前にタイプライターを別の場所へ移してしまったのだ。

ドライマンを前にしてグルヴィッツは廊下と居間の間を指さし、 “は~ん、ここは何だ”と不審気に言って敷居をこじあけようとする。

釈放されてアパートに戻っているクリスタは、まさにその作業に着手するのを横目にし、ふとドライマンと視線を交わす。クリスタは後ろめたさで伏し目になり、室内から逃げるようにして外へ飛び出る。

その後の経過は先にも記したようにクリスタの車に身を挺した無残な死である。

現場から引き揚げ、グルヴィッツはヴィースラーに告げる“君はもう終わりだ”。

ヴィースラーは手紙の開閉作業という地下室での閑職に追いやられ、それから四年半後、ベルリンの壁崩壊のニュースが舞い込む。

二年後、ヴィースラーが生計のために街でチラシ配りをしている姿がスクリーンに映る。さらに数年後、大きな書店の窓に張っているドライマンのポスターをヴィースラーはチラシ配りをしている途中で目にする。

ドライマンの新刊の広告であり、さっそく書店の中に入って積み上げている本を手に取る。善き人のためのソナタという表題であり、数ページめくると"感謝をこめて HGW XX7に捧げる"と謝意を表する文字が。

ところで、ベルリンの壁崩壊後、東西ドイツは統一し、これを機に東ドイツのシュタージの機密文書も一般市民に閲覧出来るようになった。過去の自分の監視記録を調べることが出来、しかも監視者まで知ることが出来たそうだ。

HGW XX7とは、すなわちヴィースラーが担当した報告書の暗号名。

ヴィースラーから書籍を受け取った店員は“ギフト用に包装しますか?”と一言。 “いや、これはわたしの本だから”と言い、希望がともったように目はらんらんと輝き、晴れやかなヴィースラーの顔をストップモーションで映して映画は終わる。

父、帰る

「父、帰る」

製作年: 2003年

製作国:ロシア

監督: アンドレイ・ズビャギンツェフ

出演者: 

(イワン)  イワン・ドブロヌラヴォフ

(アンドレイ) ウラジーミル・ガーリン

(父)  コンスタンチン・ラヴロネンコ

(母)  ナタリヤ・ヴドヴィナ

解説はシネマ旬報・映画データベースより

母子家庭の二人の少年と、12年ぶりに突然帰ってきた父親との小旅行を描く家族劇。

監督はこれが長編映画デビューとなるアンドレイ・ズビャギンツェフ。出演は本作撮影後まもなく不慮の事故で溺死したウラジーミル・ガーリン、子役のイワン・ドブロヌラヴォフ、主に舞台俳優として活躍するコンスタンチン・ラヴロネンコほか。

2003年ヴェネチア国際映画祭金獅子賞、新人監督賞、同年リュブリャーナ国際映画祭グランプリ、同年ザグレブ国際映画祭グランプリ、同年ロシア映画批評家協会賞、最優秀作品賞、最優秀新人監督賞、最優秀撮影賞ほか多数受賞。

Titikaeru_3

☆☆☆ 観終わってから ☆☆☆

DVDのジャケットの説明を読んで興味を持って観たのが「父、帰る」というロシアの映画。2003年のヴェネツィア国際映画祭で最高賞の金獅子賞、新人監督賞をダブル受賞したそうだ。

ロシア映画は戦争映画しか観たことがないが、他のジャンルは初めてである。

アンドレイ、イワン兄弟の七日間の日々を映画にし、一日目は肝だめしのようにして兄弟が仲間数人とかわるがわる高所から海に飛び込むシーンで、弟のイワンは高いところが苦手というところを描く。

ところで兄のアンドレイは弟のイワンをチビと呼んでいる。

二日目に突然、父親が12年振りに家に帰り、母親、祖母、アンドレイ、イワン兄弟は戸惑う。その12年の間の経緯、事情は映画では明らかにしていない。

その日の食卓で父親は息子を連れて旅行に出かけると切り出し、三日目から映画に登場するのは父親と兄弟だけである。旅行に出かけている間も父親は息子に対して優しく接するわけでもなく、口をきくのは用事のある時だけ、それも命令口調だ。

兄のアンドレイは徐々ながらも父親になつくのだが、弟のイワンは反感を募らせる。

あるところへ移動することになり、車の中で父親に聞えよがしに、なぜ魚のたくさん釣れる場所から他へ移動しなければならないのか、と不満をもらす。父親は車を止めてイワンを外に出し、ここで釣っていろ、と言ってイワンを置き捨てにする。

イワンは魚を釣る気にもならないでボッと過ごしているうちに雨が降り出して土砂降りになり、しばらくしてから父親の運転する車が戻って来る。

イワンを車の中に入れて、早く着替えろ、と父親はいたわりの声をかけるのだが、イワンはここで一気に不満をぶちまけた。“あんたが居なくても、今までうまくいっていたんだ”、“なんで旅行なんかするんだ、僕たちをいじめたいんだろう”と。

この場はひとまずおさまり、さらにひと悶着が起こったのが、旅行に出てから四日後の六日目。

ある島に渡ってから引き上げることになり、引き上げる合間をぬって兄弟は小舟を操って魚釣りに出かる。父親から腕時計を渡され、3時30分に出発するので3時には帰って来い、との約束だ。

ところが魚は思うように釣れず、海に浸かっている廃船の船底で大きな魚が泳いでいるのを発見し、釣り上げて島に戻ったのが7時。

腕時計を預けられたアンドレイは父親に叱られて平手打ちを数発くらう。責任は自分にある、とイワンは言って父親の振る舞いを怒り、ナイフを手にして父親に突きつける。

父親はそれを制止しようとしてイワンに近づくが、イワンはナイフを放り出して泣きながら島の奥に向かって駆け出し、灯台のような高い櫓に上る。父親も後を追って櫓に上るが、ところが、ここで思わぬ事態を招く。

意外も意外、やはり映画のキャッチ・フレーズ通りに衝撃的である。

さて、映画も終末を迎える段になって、このぎくしゃくした親子関係をどのように処理してスムースな関係に持っていくのかに興味津々だったのだが、しかし、それはかなわぬまま父親が転落死をしたのだ。

映画ではアンドレイとイワンの性格は対照的に描かれ、アンドレイは兄だけあって父親を理解している大人びた一面ものぞかせ、それとは裏腹にイワンに引きずり回されて事なかれ的なところもあり、そのために父親から責任回避をするな、とどやしつけられたりする。

このアンドレイも、父親を失って兄弟で島から引き上げる時にはイワンを敢然とリードし、このあたりは短い旅行で様々なことを体験し、その処し方を父親から学んだせいなのだろう。

父親の死体を乗せた小船が海底に沈んで行くのを、なすすべもなく、パパ~パパ~と泣き叫んで近くまで駆け寄るイワン。

本編が終わり、代わって映し出されるのが父親と母親の結婚早々のころの家族のアルバム。笑顔で写っているしあわせいっぱいの母親の写真。最後の一枚は赤ん坊のイワンを抱いている12年前の父親の写真。

「父、帰る」という映画、立て続けに二回も観てしまった。

« 2011年6月 | トップページ | 2011年10月 »